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What's Newー今日の呟きー
(2001年12月ー2002年6月)

現在の−今日の呟き−
6月30日
   新しく働くFellowが来ました。Chicagoから来たのですが、アメリカ人らしく最初の一声は「Program directorは月に一回は休みをくれるといっていたけれども、ほんとにくれるのか。休みはちゃんと休みにしてほしい。」ここら辺をしっかり主張するところは、アメリカ人らしいです。さて、これからどうなることでしょう。
 夜は、再手術の患者さんがPSVTになって、困ってしまいました。このあたりの薬になると、アメリカの薬はわからないですし、日本の薬も忘れつつあります。とりあえずVerapamilで徐脈化を図ろうとしたら看護婦さんに「いまどきそんな薬は使わないわよ、いつの人なの。」と笑われました。ちなみに、Verapamilはラパミルとしか聞こえませんし。Adenosinはデノシンとしか聞こえません。

6月29日
   今日はいくつかのページを更新しました。そろそろ半年たってファイルサイズも大きくなってきたので整理が必要なようですね。こちらもあさってからは、新研修医とFellowを迎えて気分一新です。ただ問題なのは同僚のDr.NがIAP-66がまだ届かないためあさってから働けなるということです。
ダラスで暮らすに「その他」を追加しました。

6月28日
   きょうはツベルクリンの検査です。日本人の場合はBCGを打っているので反応が強く出るので驚かれるとよく言うのですが、最初から半量を打ってもらうようになっていました。取りあえずこのことでもめなくてすみます。
 最初に買ったカローラは1年のローンで組んであったのですが、4年分の自動車故障保険がついていているのと、自動車保険の限度額が高くなるので全部支払ってしまうことにしました。これはディラーでするのではなくて直接ローン会社に電話してするようになっています。ローンの残金を払うこともPay offというようです。

6月27日
   きょうも朝から同僚のDr.Nは、同じく同僚のDr.Mが「サボっているに違いない」といってきています。まえにもAttendingのDr.Cがおんなじことを言っていたので彼はそういう風に思われがちのようです。こちらの感覚にだとDr.Mは効率よく仕事をしているように見えルのですが、ここの考えでは不言実行の人というか、あんまり「一生懸命仕事をしています。」というのを示さないひとは「悪い」ということになるようです。
 一般的にアメリカではその能力に合わせて一生懸命やっているかどうかが評価されて、仕事の出来不出来は能力に応じて評価されるようです。能力のある人はそれに合わせてもっと仕事をするべきだということで、仕事が速い人が早く終わって休んでいるよりは、仕事のできない人ができるように頑張っているほうが評価されるということです。
 この点の感覚は日本とはちょっと違うのかもしれません。ちょっと、不言実行のDr.Mがかわいそうになります。

6月26日
   きょうは病棟の看護婦さんが今度結婚することになったので、病棟の控え室でちょっとしかお祝いのパーティーです。みんなちょっとした食べ物を持ち寄っているのですが、実はご主人が作っていたりします。
「Hospital in Japan」を追加しました。「病棟」を更新しました。

6月25日
   きょうもOn Callです。今しがた腎臓内科からCVVHD用のカテを入れてもらうよう頼まれて、ICUの患者にカテを入れてきました。ふと気づくと当たり前のように外国で日本と同じように仕事をしていることに気持ち悪さを感じます。
 同僚のDr.Nはアメリカに残りたいらしく、VISAの種別を変える為にいろいろと画策しています。そのバイタリティーたるやすごいうものです。アメリカでやっていくにはこれくらいのバイタリティーがないとだめなのでしょう。
 7月からは隣町のFt. Worthにもプログラムが出来るためFellowにもかなり影響が出ます。もう一人の同僚のDr.MもAttending待遇で向こうといったりきたりするため、人手がまた足りなくなりそうです。ただAttending待遇になると収入も多くはなりますが、仕事もそれだけのものを求められて期待されただけ出来なければやめさせられることになります。その点はここの厳しいところです。
 同期がみんな次の道を探すためにいろいろと活動しているのに比べるとこっちはやっと慣れてきたというところなのですし、また、日本にいればなにも考えずに医局の紹介でしてくれるので(もうそういうところにはいませんが。)やはりそのギャップには戸惑うところです。
「メディア」を追加しました。「一般病棟」を更新しました。

6月24日
   今日は比較的暇な日です。昨日患者さんが「看護婦さんが香水をつけているから鼻炎がひどくなったじゃないか。」といって事あるごとに訴えていたのですが、きょうその患者さんの部屋の扉には「No Perfume Allowed」の札が。患者さんは満足そうです。
 ぼちぼちと過去の患者さんの記録を調べてデーター集めです。自分たちの行った治療を振り返って、どれがよりよい道なのか省みるのも医師の勤めです。過去の患者さんの記録を調べるといまの治療のモデルがどうやって出来てきたかがわかるので結構面白いといえば面白いです。
 というところに同僚から電話がかかってきて、まだ病院にいるなら「ICUの患者にIVHを入れておいて。」とのことです。彼は子供のためにPlanoという環境のいいところに住んでいるので、ちょっとこのことで病院に来るのは大変なのです。
 帰ったら論文の仕上げです。英語がよくかけないのでとりあえず論文校正サービスというところに出して見ようと思います(分野がTransplantでは無いので)。また、帰ってきたら論文校正サービスについて書いてみます。

6月23日
   今週末も移植です。朝3時に手術が終わって、4時には朝の患者さんが入院しています。Naをチェックすると122しかありません。この患者さんは移植がキャンセルで結局朝の移植の手術は別の患者さんに回ることになりました。Recipientの患者さんはすごい落ち込みようです。結構、移植直前に患者さんの容態でキャンセルになったり、ドナーの肝臓が不具合でキャンセルになったりします。Recipietが入院してから手術までは時間が無いのに、患者さんを診察して過去のカルテのファイルの山を調べて、手術の適応を判断しないといけないのでそれが大変です。
「航空会社」「銀行とクレジット」「Medical Palm」を更新しました。

6月21日
   今日はTaylorまで20分のフライトでドナー手術をしてきました。Attending のDr. Cは彼女が朝に空港につくことになっていたので、行きと帰りの間中ずっと電話をしました。お昼も、「ちょっと彼女のために車を届けてくるから。」といって、ちょっと抜けていってしまいました。午後は今度はその肝臓を移植する手術を彼と一緒にしたのですが「彼女のために車を置いてきたから、帰りも送ってくれないか。」といってきます。「アメリカ人の彼女は手がかかって大変なんだと。」愚痴をこぼしていました。
 昨日に引き続いて、同僚のDr.Nはプロジェクトの進め方について説明してくれます。こっちは患者さんを見るだけでも精一杯なのに、やっぱり彼はすごいです。結局今日はDonorの手術が2件と、肝移植が2件と腎移植が2件でした。思うに、アメリカにいていいことは手術がたくさんできて、その気があればプロジェクトがたくさんできることかなと思うようになってきました。

6月20日
   同僚のDr.Nは最近学会という学会に出席して発表しています。「よくそんなActiveに発表できるな。」といったら、ほらといって、コンピューターのプロジェクトリストを見せてくれました。現在9つのプロジェクトが進行中なのです。ほんとに、そのアクティビティーの高さには恐れ入ります。
 結局、日本のある証券会社は日本に住所が無いということで解約せざる終えないことになりました。アメリカの証券会社が日本から口座が作れるのに比べると情けないことです。

6月19日
   こちらでは養子をもらうということはそんなに珍しいことではないらしく、病棟の看護婦さんが「今度うちに新しい家族が来るのでみんなお祝いしてください。」というパーティーをするという張り紙がしてありました。ロシアから1歳の女の子が来るそうです。このあたりの感覚は、隠そうとする日本とは相当違いますね。
 日本でもそうなのですが、この病院では日本以上に手術が終わりに近づくと直接介助の看護婦さんは器械カウントとスポンジカウントでそっちのけになってしまいます。必要な機械もみんな片付けられてしまうので結構困りものです
「ダラスに暮らす」を全体的に更新しました。「手術のお作法」を更新しました。

6月18日
   今はちょうど新卒の看護婦さんたちが、研修に来る時期で初々しいといっても、日本と違って結構な年の人たちもたくさんいます。そんなことをいったら怒られてしまうけどね。
 病棟では看護婦さんたちが「1人10ドルずつで共同で宝くじを買おう。」といって、人を集めています。結構こちらでは行っているようですが、同じ病棟で仲間を募っていると、万が一何億円も当たったらみんなやめてしまって困るだろうな。

6月17日
   ここでの回診というのは、Attending physican以下、Fellow、nurseなどがついて回っていくのですが、Fellowというのは一応Attendingとの間という位置づけなので、病棟の患者くらいは全部見ていてAttendingはそれをチェックするだけということが期待されるわけです。僕の場合は「こんなこともしていないのか.]といういう風に怒られるのですが、怒られるとなおさら早口になって聞き取れなくなります。アメリカ人だとここでうまく言い訳を言うのですが、なんて怒っているのかがわからないというわけも言うことができないので、非常に情けない思いをするんですね。
 またそういうときに難しいのは単純な略号でも読みが違うことです。「この患者さんはキャベジのHxがあるから。」といってもさっぱりです。これはCABGのことでした。これは一般的なようです。
 さて、今日はサッカーはアメリカーメキシコだったようです。メキシコ出身の患者さんは「こういうときはどっちを応援したらいいかわからなくなるよ。」といっています。確かにテキサスはメキシコ人やメキシコ出身の人がおおいいのでこういうことになるんですね。
「自動車」を更新しました。

6月16日
   今日は父の日です。こちらでは、結構父の日を祝うようで。「あなたは結婚しているか。」と看護婦さんが聞いてきて、「父の日おめでとう。」と結構言われます。ちなみにOn callですが、昨日までの患者さんたちが今のところ絶好調なので電話で済むことばかりです。
 さて、アメリカでは信号が壊れていることがよくあるのですが、こういうときに4-Way stopという交差点があるので、交互に進む習慣があるからそんなに混乱しません。これが日本だったらさぞかし大渋滞することでしょうね。
 さて、今日はアーリントンの先生のホームページに乗っていたので、台湾のビデオレンタルやに日本のビデオがおいてあるかどうかを確かめにいって見ました。ありました、ありました。中国語の題名のついた日本語ビデオが結構並んでいました。ちょっと借りてみようかと思ったのですが、「$100でチケットを買ってもらうことになっている。」といわれて、「もっと安いのは無いのか。」ときいたら「$50のもある」といってきます。画質も悪そうなので「じゃあいらないというと。」すかさず「1本でもいいから。」といってきます。このあたりの商売のうまさとしつこさは、なかなか日本人には無いなと思いますね。
「アメリカドライブ」を更新しました。

6月15日
   金曜日の朝4時から土曜の夜10時までひたすら手術のしどうしでした。最初木曜の夜に「明日5時から手術をするから。」といわれました。この意味は3時過ぎには病棟にいって患者を診て、4時にはバックテーブルといって肝臓の処理をしなければなりません。ここのところ手術が無かったのでいやな予感はしていたのですが、肝移植が5件も立て続けにはいってさすがに疲れました。
 2件目の移植が夜2時に終わると、土曜の朝5時から4件目でまた同じ繰り返しです。最初の3件は同じメンバーDr.Sanと私、そしてDr. Halで続けて行ってきたのですが、後になるほど疲れて手術が大変になるかというとそうではなく、だんだん慣れてくるので「この手術はペースがつかめた!という風になってくるのです。
 10時に手術が終わって、、また別の胆管空腸吻合の手術をすると、今度は「12時に空港で集合。」のポケベルです。これでまた、El PasoまでHarvestの手術です。
 眠ったといってもEl Pasoまで飛行機で手術に行くときに、機内でちょっと寝ただけです。これも今日借りたのがジェット機だったので片道1時間くらいであっという間です。帰りも、パイロットが買ってきてくれたサブウエイのローストビーフ(最近皆これがお気に入りです)を食べるなり、すぐに寝てしまいました。これで明日もOn callです。不思議なことに、ドナーは出ないときはぜんぜんでないのですが、続くと立て続けに出ます。たいていは週末にかけてです。ちょうど今週末は学会で人手が少ないので、残留組はとっても大変でした。
 ちなみに、今日は外科レジデントの卒業式でしたが、出席する時間はありませんでした。

6月13日
   テキサス州では2年に一回自動車の登録を更新しなければなりません。その通知が送られてきました。詳しくは、自動車の項で説明したいと思います。

6月12日
   今日は移植後の患者さんに悲しい話をしなければならないことがありました。再移植のリストにあがったのにもかかわらず、胆管空腸瘻ができてリストから漏れてしまった患者さん、一ヶ月前に手術をしたばかりなのにC型肝炎の増悪でまた肝不全になることが目に見えている患者さん。このような患者さんに話をするともちろん患者さんや家族はひどく落ち込むので、ソーシヤルワーカーやコーディネーター、精神科医、チャプレン、看護婦を交えてよく回診時に話し合います。こういうときに英語力の無さというのを痛烈に感じます。こういうSocial Issueについて話し合うこと、というよりも理解をすることが非常に困難です。
 さて、やはり腎移植後の患者さんで日本に興味がある患者さんがいるのですが僕に会うたびに「あそー」と声をかけます。かれは日本の挨拶だと思っているらしくて、こちらはどのように返事をしたらいいのかといつも困ってしまいます。
「アメリカドライブ」「病棟のお作法」を更新しました。

6月11日
   というわけで、今日はOn Callでした。家に一応帰れるのですが、電話でいろいろ聞かれるというのがなによりも難しいです。また、家でも十何人かの入院患者を全員把握していないといけないのでそれも困難なところです。結局、3時ころには病棟の再移植をした患者さんが呼吸不全になって病院に行かないといけないことになりました。こういうときの判断もちょっと遅れると肺炎で患者を亡くしてしまうことになるので気が抜けません。
 ICUに患者を下ろして、胸腔穿刺をすると、今度は移植の準備の患者さんが待っています。今日は生体腎移植が2軒あってその両方に手洗いをするので、その前に病棟の患者を診察しなければなりません。ICUのオーダーや穿刺ものに関してはまた別の章に譲ることとしましょう。ひとつ困るのは、簡単に超音波が使えないことです。
 結局、帰って夕飯を食べ終わると昼間の患者さんの再出血でまたICU へ戻ります。ICUの看護婦さんたちはちょうど夕食時(10時ころ)でした。この様子に関してもまた別の章に譲ることにしましょう。いずれにせよ、On Callは責任の重さと電話に疲れました。

6月10日
   久しぶりに今日から仕事です。9日間も休んでしまうと仕事に戻れるかどうか不安だったのですが、それなりに戻ることができました。
 入院患者さんの中には英語がまったく話せないメキシコ人の患者さんがいて、僕に向かって「スペイン語が話せるか。」と聞いてきます。メキシコ人から見ると僕の顔立ちはメキシコ系なのでしょう。いずれにせよ。少しはスペイン語の勉強もしないといけないかもしれません。
 今日からOn Callが始まりました。さっそくICUに重症感染症の患者が2人も病棟から入ったので、結構不安です。移植後の患者さんは免疫抑制剤を使っているので、すぐにSeptic shockになるので、感染症の患者を持っていると怖いです。On callはすべての責任をもとないといけないので非常に怖いですね。

6月9日
   一週間にわたる休暇から今日戻りました。明日からまた、ポケベルの日々です。さっそくOn Call一日目です。
 旅行の記録はアメリカドライブ「イエローストン編」にて公開しています。まだ半分ほどしか出来上がっていませんので、その点、誤字脱字、変な文章はご了解ください。
「アメリカドライブ」を更新しました。

6月3日
   今日はかねてからあこがれのイエローストン国立公園の入り口にまでたどり着きました。片道1500マイルの旅路でした。明日からはいよいよ国立公園の中です。途中対向車のパトカーにレーダーでやられました。アメリカでもすれ違いざまのスピード違反を取られるようです。まだ、アメリカドライブのほうは暫定版です、また時間があるときに写真と地図を追加します。
「アメリカドライブ」を更新しました。

5月31日
   今日でレジデントともお別れです。ちょっとべたつくところが困りましたが、非常に優秀な研修医でした。好くしてくれたコーディネーターのミッキーもFt. Worthに行ってしまうので今日でお別れです。5月はお別れのシーズンなのかな。移植そのものは今週は腎移植が2件しかなかったので、非常に暇な週でした。
 さて、明日からは一週間の休暇です。今回はイエローストン国立公園まで旅行をしてきます。旅行の記録は「アメリカドライブ」の項でお楽しみください。
「アメリカドライブ」「BSL/ACSL]を更新しました。

5月30日
   早朝に先生を空港まで送った後に病院へ出勤です。病院のエレベーターの中ではじめて本当の日本人にあったのですが、そっけなくされてしまいました。どうも、併設している歯学部で働いているようです。せっかく生の日本人に会えたのに残念です。
 いずれにせよあさってから(事実上明日の夜から)休暇です。久しぶりにポケベルフリーになります。ただ帰ったら研修医がいなくなるので、三日ごとにOn Callが待っているのが玉に瑕です。
 一応来月からは外来をのぞいたすべてのFellowの業務「当直、病理カンファ、研究」をしなければならないようです。英語がかなり不安です。
「リンク」を更新しました。

5月29日
   昨日の夜は前の病院の院長先生が遊びに来たので、こちらに来てから初めてDFW空港へお迎えです。飛行機が遅れたため結局夜の12時ころのお出迎えでした。家に戻って寝ようとした矢先にドナーの手術のコールです。さすがにDr. Nが「研修医を行かせようか。」といってくれたのですが、60Kmほど離れた病院で40分後から手術が始まるというので研修医では道がわからないからということで結局私が行くことになりました。今度の肝臓もHustonに行くことになったので、うちでは移植はなしです。病院に戻ったら結局朝の7時になってしまいました。
 今は患者さんの人数が少ないので、お昼には院長先生と一緒に6th floor観光に出かけました。ダラスに来てもこれくらいしか観光地が無いのですが、院長先生ぐらいの世代の方にはその場面を中継で見ているのでとっても思いがあるようです。
 前いた病院だと仕事の後に飲み会みたいなものもあったのですが、こちらに来てからは帰ってからはひたすら勉強なのでやっぱり、前いた病院は懐かしいですね。
 研修医時代に教授が「大学受験のように教科書を隅から隅まで読まなければだめだ。」といわれていたのが、まったくその通りの生活になってしまいました。今はそれだけ責任の重い仕事だということを痛感しています。

5月27日
   今日はメモリアルデイで珍しく病院もお休みです。この三連休は珍しく肝移植が一件もありませんでした。夜中にHarvestの手術で呼ばれましたがDonorがHeavy Durg Userだったため結局肝臓は研究用にピッツバーグに行ってしまいました。
「レストラン」「ショッピング」の項を更新しました。

5月26日
   今日は午前中に腎移植が一件あっただけで比較的静かな休日でした。だけど朝6時に手術室に行ったら受付の看護婦さんは「7時に移植?そんな予定聞いていないわ。」という始末です。腎臓も患者さんも来ているのに手術室があいていません。急いで看護婦さんを呼んでもらって、何とか9時からはじめることができました。若い腎臓でもマイアミから来たので、虚血時間が長く少しでも早く始めたかったのでした。
「臓器移植」の項を全体的に書き足しました。

5月25日
   アメリカで一番多く行われている消化器系の手術はなんでしょうか。これは未確認なのですが胃を縫縮する(Banding)の手術が一番多く行われているそうです。今日の未明にはとある病院から、胃のバンディング手術後に穿孔して胃全摘を行ったら、肝臓への血管をすべて切ってしまったという患者さんがなぜか送られてきました。もちろん、すぐに肝不全になり患者さんは危篤状態です。もともと胃のバンディングの手術は比較的安全なものですし、患者さんも若い(42歳)ので。ご主人と娘さん「先週の土曜日はあんなに楽しく過ごしたのに。」と悲痛な叫びを上げていました。今の移植医療の現状では、このような急な状態に対してはなすすべがありません。

5月24日
   今日は昼にフェロー集めての会議が開かれました。件の研修医が移植外科での研修医の待遇の悪さに手紙を出したらしいのです。ここの病院では研修医は自分のところと、WestVerginiaと2ヵ所からくるのですが、うちのところの研修医は強制的なローテーションのためあまりやる気が無いということのようです。ただ、フェローの仕事のひとつにレジデントの教育というのもあるので肝移植は難しいので腎移植だけを一貫して責任を持ってやらせるとか、週に一回は学術的な課題を出すとか、また週に一回は休みを与えるというような話になりました。

5月23日
   この数日間は非常に忙しかったです。フェローの皆もつかれきっています。来年度からFt.WorthにもProgaramをのにもかかわらず人手が足りないため、フェローのDr.Mは来年度からAttendingと同じ仕事をするようにといわれフラストレーションがたまっています。7月からくるはずだったAttendingは来られるかどうかわからなくなり、フェローの一人はまだCSAを受けていないというので間に合わないことは確実です。まあ、こっちは蚊帳の外(話がわからない)なので、あまり関係ないかもしれません。
 私自身のほうはやっと手術用のルーペが届いたので、手術を始めました。初めて腎臓のバックテーブルと腎静脈の延長をしました。今のところ患者さんはいい尿を作っているので(The kidney is happy, making good urine.) ちょっと安心しています。
 英語は相変わらずさっぱりです。移植の患者さんは長くいるので入院患者さんはだんだん僕の発音を覚えてくれるのですが、外来の患者さんにはなかなか通じません。
 今日もあるご婦人が「私はテキサス英語だからあなたの英語はまったくわからないは。」といってきます。こっちは英語そのものが話せないだけどなと思いながら続けます。
 特にAllergyがなかなか通じません。まえはBowel movementが通じなくて困っていましたがこれは特訓のおかげで通じるようになりました。こんな調子で1万語の英語の発音をすべて矯正しないといけないかと思うと先行きは暗くなります。

5月19日
   昨日の患者さんがまだ落ち着きません。なかなか移植の手術の術後管理は難しいです。術後がうまくいかないと皆気分が暗くなります。
 午後は気を取り直してダラスのダウンタウンの観光に行ってきました。久しぶりに手術の無い週末です。やっとダラスの観光地(というか唯一の)ケネディー暗殺現場に行ってきました。
「ダラスの見所」「近郊の見所」を更新しました

5月18日
   昨日の移植をした患者さんの、肝動脈の状態が怪しいので、結局午後になって再手術をしました。この患者さんは再移植の患者さんだったので早め早めに手を打つようにしました。
 手術が夕方までに終わったので、夕方からはお世話になっている秘書の送別会に行ってきました。前のProgram Directorの自宅の庭でのパーティーです。皆家族を連れて参加していました。Texas風パーティーということになっていましたが、Tex-Mex料理とマルガリータが振舞われていました。この、秘書は僕が日本にいたときから準備のためにいろいろお世話になっていたので彼女がいなくなってしまうのがとても残念です。。

5月17日
   今日から他の科のDr.への他科依頼ををはじめました。アメリカだと保険の都合があるためいちいち他科の医者のOfficeに電話をしなければなりません。この時に結構保険の事を聞かれます。この他科依頼というのが曲者で、結局電話で患者に関するプレゼンテーションをしなければならないので、これが非常に難しいのです。

5月16日
   また今日もレジデントの話になりますが、彼はパキスタンの医学部を出ているのですが同級生の多くがアメリカのレジデントに来ているそうです。もちろん学校の医学教育は英語だそうです。これに関してのコメントはまたおいおいしたいと思います。
 レジデントの部屋には海兵隊などの軍の勧誘の広告が張り出してありました。そこに書いてある文句は
An additional $35000/Yr
Diverse, Enjoyable Patient Population
Comprehensive Benefits Package and 30 day Vacation/Yr
Malpractice Protection
More Time with Family
Adventure and Travel
Patriotism and Respect
このAdventure and Travelというところがみそですね。
「リンク」を更新しました。

5月14日
   今来ているResidentは婚約者がブラジルにいて、もうすぐ婚約記念日だからか、ダラスの大きなモールを聞いています。出会った場所はVISAの申請のラインで出会ったらしいです。(彼はパキスタン人)そういう出会いもあるんですね。
 ホームページの配列はちょっと変えました。ダラス通信と名づけているくらいなので、ダラスのことについてを最初にもって来ました。
 たまには医学的なことでも書きましょう。アメリカだとルーチンの電解質検査にCO2というのが入っているのですが、日本では入っていないんですね。そのため,日本の場合は酸、塩基バランスを計るのに血液ガスを取らないといけないんですが、この違いはどうして起こってくるのでしょうか?
「レストラン」を追加しました。

5月13日
   この週末はあまりにも忙しかったです。土曜日に(といっても日曜日の朝までですが)肝移植が3件と膵・腎移植があって日曜日にも腎移植です。こんなときは病棟にも患者さんがたまってくるので病棟管理も大変です。移植の場合は肝移植が一件あるということは、最低2つ場合によっては4つの手術を生み出すので、もうみんなへろへろでした。
 今日はやっと開放されたので、6月上旬にとる予定の休暇に向けてペットホテルを探しに行ってきました。それに関してはまた報告しましょう。
「病棟管理」を追加しました。

5月10日
   相変わらず英語ができなくて困っています。特に、他の科の医師にコンサルトしたり退院サマリーや手術記録をDictationをしたり、放射線科の報告のDictationを聞くのがすごく困難です。1年たってもできるようになるのか不安です。誰かいい方法があったら教えてほしいですね。
「予防接種」を更新しました。

5月9日
   アメリカの外科医の言葉で、「Better is the enemy of good.」という言葉があるそうです。いいと思ったらそこでやめたほうがいいということで、それ以上を追求すると思わぬ合併症を招くということだそうです。

5月8日
   ある移植後5日目の患者さんが、もともとUT southwesternに勤めているようで、「UTSWには日本人がたくさんいて、かわいい子もいるから今度あなたに紹介してあげるよ。」といっています。この病院では日本人に会うことが無いので、ほんとに紹介してもらいたいですね。

5月6日
   夕方帰ってから、近所の獣医さんに狂犬病の予防接種を打ちに行ってきました。知らなかったのですがダラス市では犬の登録制度があるようです。狂犬病の予防接種とボルデテラの点鼻薬とフェラリアの検査と薬をもらって$130でした。詳しくは犬を連れてのページで。
「リンク」、「犬を連れて」を更新しました。

5月5日
   気がついたら今日はこどもの日なのですね。Offの2日目なので足を伸ばしてヒューストンまで行ってきました。往復530マイル、8時間のドライブです。ヒューストンまでの道のりは森が続いてテキサスの乾燥したイメージがすっかり変わりました。Houston Space Centerまで行ったところで、ポケベルが届かないことが判明し帰らないといけなくなってしまいました。帰ったとたん「明日朝5時からGrapevineで腎移植2件」の電話です。朝4時までには患者さんを見に行かないといけないので今日は早く寝よう。

5月4日
   2回目のoffの週末です。朝5時にポケベルがなって「Houstonでドナーの手術があるからと。」連絡が来ましたが、offだということで許してもらいました。少し足を伸ばして車で一時間ほど行ったWacoの町に行ってみました。フリーウエイ沿いにはボーネットの花に代わって色とりどりのWild Flowerが咲き乱れています。
「ショッピング」、「観光」を更新しました。

5月3日
   移植外科はドナーの手術に行くためいろいろな病院に手術にいきます。そこで日本との違いについて感想を「手術のお作法」に書いていきたいと思います。日本での経験が3年しかないのでその点は割り引いて読んでください。
 さて、3月からはWest VirginiaからのResidentを迎えました。病院の隣の患者さんようのアパートに6週間暮らします。ちなみにとなりは昨日手術をした患者さんの部屋だそうです。Dr.Lが「そのまま患者さんをFollowしたらいいじゃないか。」とからかっていました。
「手術のお作法」を追加しました。「アパート」を更新しました。

5月1日
   今日よりホームページを一般公開します。皆さんよろしくお願いいたします。
HPを一般公開しました。

4月27日
   RsidentのCはちょっとホモっぽいのですが、回診の途中にACLSのコースを受けに行くために地下に行ったら、FellowのDr. Mがランチを食べているのを目撃したらしく「彼はみんなが回診で忙しくしているのにサボってランチを食べていた。」とみんなに吹いてまわっています。僕にも、「他のフェローのDr.Nが学会でいないので、彼だけだとサボるから大変だ。」といっています。彼はアメリカ人にしてはまじめで一生懸命やっているので、別にそんなのどうでもいいと思うのだけれどもあっちこっちに吹いてまわってちょっと困ったものです。

4月26日
   Tomyという肝移植を受けた子がCMV肺炎であっという間に亡くなってしまいました。こちらとしてもあまりには早い病状の進み具合についていくことができませんでした。夕方になって、突然血圧が下がってしまい。家族に「昇圧剤を使ってぎりぎりもたしています。非常に厳しい状態です。」とムンテラをすると。結局家族はDNRの承諾とそれに付け加えて昇圧剤を中止してくれという風に行ってきたそうです。日本の感覚だとDNRはさておき昇圧剤まできるということは見殺しにするような感じでどうしても許容できませんでした。これはイスラエルから来ているFellowのDr.Nにとっても同じようなことのようです。
 夕方別の肝移植の手術が手洗いをしていたのですが、深夜ICUに戻ってきたときには残念ながらなくなっていました。まだ若くて学校も仕事もなにも知らなくてERが好きで毎日回診の時にはERをずっと見ていた子だったのですが非常に残念です。

4月25日
   昨日別の病院で腎移植があったのですが、最初研修医が送られたのですが例の怒りっぽいアテンディングが「こんなのをよこしてどうする。」と興奮して、結局同僚のおじさんが呼ばれていくことになりました。普段は安全運転なのに飛ばして途中で警察にも捕まって踏んだりけったりです。帰ってきてから研修医は「もう一人のアテンディングの方がgood surgeonだね。」とウインクをしていました。
 病棟では病棟で、患者さんが不機嫌になっていてそれを怒りっぽいアテンディングが「どうにかするからととりなしていました。担当だった「いつも強気の看護婦さんが「私は一生懸命やっているのに。」と落ち込んでいました。意外な一面です。少し英語がわかってくると病棟の人間模様もわかってきますね。
「医療の保険」を更新しました。

4月24日
   夜寝ようと思った矢先のポケベルです。夜中中ドナーの手術でそのまま病院です。さすがにぜんぜん寝ていないと疲れるので今日は早めに帰らさせてもらいました。帰りにめがねをとりに行って早く寝ます。
 こちらの眼鏡屋は、医師でなければめがね用の処方箋が出せないこともあって、結構眼科がついているところが多いようです。眼科にはMD以外にODと呼ばれる人たちもいて眼科専門の医学コースを出た人たちがいます。日本でもコンタクト屋の眼科医が眼科以外の人がやっていて問題になっているので(私も研修医の時には結構お世話になりました。)このようなコースを作ってみるのも一考かとも思います。

4月23日
   やっと手術の無い日になりました。先週末から毎日移植が2-3件づついてあまりにも忙しかったです。そんなわけで仕事のもれも多くて午前の回診の後にJunior attendingから、どうなっているんだとみんなで怒られました。Fellow同士のcommunicationが取れていないのが理由なのですが。そこが、僕にとっては一番難しいところです。
 そんな中でも今日は眼科に行ってめがね用の処方箋をもらいに行きます。こちらでは眼科やめがねにも特別な保険があってそれを使ってみました。詳しくは保険の項でまた書きます。
 ともかくまだまだ病棟の患者も多くて大変です。
 病棟の採血をしているテクニシャンの人は、結構好くしてくれるおばさんなのですが、化学の勉強をしているどうしたのかと聞いたら明日が試験だというのです。よくよく聞いたらAAのスチュワーデスを12年していたけれども結婚してやめて、ちょっと今度は子供が大きくなったので医学部に行こうとしているのです。あまりのすごさに驚きました。
「医療の保険」を更新しました。

4月22日
   ちょっと移植が一休みなのかと思ったら、別の病院で腎移植です。弁置換を受けた患者で貧血がひどかったのですが、移植を始めたら卵巣嚢腫の破裂で腹腔内出血をしていることがわかりました。産婦人科の当直を呼んで緊急手術です。術前診断がEnd stage renal diseaseなのに、標本が卵巣が出ているというかわった手術になりました。

4月21日
   今日は楽しみにしていた近くにあるUT./SW大学の日本人会のバーベキュー大会でした。ところが肝移植が3件も続いているのでまったく及びではありません。やっと日本人にあえるのかと思っていたのにまたパーです。

4月20日
   患者さん主催のパーティーが市内のホテルでありました。どうも会社を経営しているようで移植外科の関係者を招待してくれたようです。ところが、行ったところ患者さんの母親の誕生日会のようでした。そのためだけにうちの教授から市長まで呼んでいてなかなか親孝行な息子です。

4月18日
   朝1時にLovefield空港に集合で今日はオクラホマの病院です。ちょっと遠くのため双発ジェットで向かいました。空港から病院まではリムジンです。最初の話だと患者さんは手術室に患者さんが入っているという話しだったのが、膵癌の手術をしているため手術室があかないといわれて困ってしまいました。DonorはHep Cのため肝生検をして待ちます。オクラホマではHepCの肝臓までは使わないためこのような肝臓はダラスへもらっていきます。もし肝硬変が進んでいたら肝生検をするためだけにジェット機を飛ばしているのでその様なコストがどこから出ているのかも興味があるところです。

4月17日
   相変わらず英語が話せなくて困ってします。根本的に発音が悪いようなきがするので、発音矯正ソフトのようなものを買って見ようかと思っています。また、様子がわかったら報告したいと思います。行く途中に変な黒人から「このクリエを10ドルでもいいから買ってくれないか?」といわれました。拾い物みたいです。 
 同期のアメリカ人は子供が3人もいるうえに、セントバーナードも飼っていることが判明しました。この薄給でよく余裕があるな。「3匹のへび」というホームページでその様子を公開していました。
「病棟の人たち」をアップしました。

4月16日
   グレープバインというちょっとはなれたところで腎移植を2件です。外はトルネードで近くの町でも結構被害が出たようです。ダラス・フォートワースというと日本ではドルネードで有名なだけはありますね。

4月15日
   夕方からStarzlの講演がありました。肝移植の祖であり非常に優れた外科医であって研究者です。この後から肝移植の手術があって終わったのは午前3時でした。「術前の患者をしっかり見ていない」といわれて今日もおこられです。ただ術前のカルテでも100ページ以上あるのを、汚い字を解読していかなければならないのでとってもハードです。

4月14日
   今日は久しぶりに午後の無い日曜日です。近所の湖だとヨットがたくさん浮かんでいます。ダラスは風が強いのでヨットには最適な地でしょうね。
 道路沿いにはテキサス州の州の花にもなっている、青いBluebonnetの花が突然咲き始めました。
米国臨床留学の項全体を書き加えました。

4月13日
   昨日の夜から移植が2件続いたのでさすがにみんなお疲れです。最近、毎週土曜日に手術が入っているから週末になにもできません。今日は研修医が休んでいるのにこういう日に限って忙しいものです。今日は疲れたのでここまで。
全体的にリンクが通るようにしました。β版を公開しました。

4月10日
   肝臓がCaliforniaに行ってしまったので、Recipientの手術がなくなってしまいました。昨日出した車を取りに行ったところ「ブレーキは大丈夫」だとのこと。FORDではブレーキの異音では異常ということにはならないみたいです。
全体的にプライバシー保護に関して厳しくしました。。

4月9日
   IC Recorderというのを使い始めてみました。非常に便利ですね。今日もおじさんは車が治らないので送り迎えです。こちらも自分の車のブレーキの音が気になったのでディラーに修理に出すことにしました。
「米国臨床留学」を全体的に書き足しました。

4月8日
   おじさんのより電話があってバッテリーがあったから病院まで送ってほしいとのこと。もう一台の車は奥さんが子供を学校まで送っていくために使うらしい。近所はメキシコ人の多い地区なので、ESLというとメキシカンスクールになってしまうらしいです。
 
「ダラスに暮らす」を全体的に書き足しました。

4月5日
   予定の腎移植の手術が2件です。朝から晩まで短気なインド人の医師と一緒で起こられっぱなしです。こういうストレスのたまる日は、ページ作成が進みます。(この2ヶ月間、日本人とあったことが無いからたまった言葉が話す代わりに文章で吐き出されるみたいです。
「はじめに」「作者の個人的リンク」「Medical Palm」をアップしました。

4月4日
   お昼からCorpus Christにドナーの手術でした。行った先はChildren's HospitalでDonorは1歳の子供でした。さすがに複雑な気持ちです。
「Donorの手術」をアップしました。

4月3日
   4月から一般外科のresidentがローテーションでまわってきました。一人増えるとかなり楽になりますね。彼はアメリカ人の若いのにしては結構おとなしいほうでなにを考えているかよくわかりません。(きっと自分も周りにはそういう風に思われているんだろうな。)
 おじさんが「インド人のアテンディングは頑張りすぎてroundも早く始めるから大変だし看護婦にも不評なんだ。」といっているのを、まじめ君が「彼も来たばっかりだから粗相の無いように頑張っているんだよ。」と慰めていました。彼は大人だな。今日水曜日は薬屋さんの説明会です。Diflucanの説明会でしたが説明が不十分でいまいち不評でした。

3月31日(イースター)
   今日はイースターホリデーです。病院はいつもと同じようにありました。ただ、どの病棟でも今日はホリデー気分で14R病棟の看護婦さんはバニーの耳飾をしているし(上の写真)、ICUの看護婦さん控え室もバニーケーキなどがいろいろ用意してありました。
 昼にヘルニアのカントンの手術を終えた後本当は夜に腎移植がある予定だったのがドナーの手術が遅れて明日の朝に変更になったので、ちょっと町に買い物に出かけてみました。
 ところがどこもかしこも閉店で(Wal-Martさえ)結局なにも買えずに帰ってお昼寝の一日でした。

3月29日
   朝6時からGrape vineで腎移植の手術がありました。ちょっとした行き違いがあっても。英語でうまく言い訳が言えません。アメリカに来てからなにが一番悔しいかというとこの、英語で言い訳をすることができないことですね。相変わらず糸結びがへたくそで困ります。「gentleに」といわれ続けているな。
 でも、今日は手術記録のdictationに挑戦しました。またカルテの事務仕事(足りない記載があると全部帰ってくる21日以内に書き足してサインをしないといけない。
 夕方はDoc's dayで14Rの病棟でちょっとしたお菓子が振舞われました。まだそれに値する仕事をしていないところがちょっと困ります。

3月28日
  アメリカでも薬屋さんがまわってくることがたまにあるが、こちらではなぜか女性ばっかりですね。今日はスタイラスとボールペント、レーザーポインターが入った三点セットをもらって、まじめな彼がが「こんないいのはいまだかつてもらったこと無いやといって喜んでました。

3月27日
  今日は昼休みにHouse Staffの総会というものがあって、結構いい食事が出ました。代表の選挙や、「カルテをしっかり書かないとコストが取れないから書くように「などの話がひとしきりありました。来年は30人の研修医が採用予定のようだが、外国人は1人だけのようです。ちゃんとお土産までくれるのですがなぜか「傘」その心はいったいいかに。

3月24日
   今週末はoffがもらえたのでダラス近郊の観光地を回ってみました。金曜の夜はParkland Hospitalで手術があったのでそれから帰ってきた後、丸2日の休みでした。
 土曜日はダラス植物園、日曜日はGran Roseのサファリパークへ行ってきました。久しぶりの息抜きです。しばしFellowで来ている事を忘れました。
ホームページの作成を開始しました。

2月15日
   肝生検後の患者がすごく痛がって、また出血したかと心配になる、CT後何も無いことが判明したが、看護婦さんからの信頼性はゼロになったでしょう。

2月14日
   生体腎移植の手術に入る。

2月13日
   生体腎移植の手術に入る。

2月12日
   Baylorの健康保険に入る。
スワンガンツ事件はProctorshipをとることで解決した。

2月11日
   スワンガンツ事件。

2月10日
   今日は午前中だけで終わった。

2月9日
   午後から肝移植の手術がある。一人はキャンセルになった。週末に移植があるとつらい。

2月8日
   今日は朝コールがあってwiches fallsにレジデントと一緒にドナーの手術に行く。帰ってきたら、ほんとは研修医だけで行くことになっていたと起こられる。行きも帰りもBeachcraftの操縦席に乗せてもらう、ほかのコーディネーターからは「庫パイロットのようだと」言われる。

2月7日
   今日は手術は無い12時半よりカンファがあるが基本的にはFellowが発表しないといけないことになっている。午前中はロードテストに行く新車では受けられないことがわかって途中で換える。スピードの出しすぎだといわれた。

2月6日
   免許を取りに行く。行ったら試験の難しさに驚く、できるだけコンピュータの前で勉強して粘ったが、途中でだめだといわれる。アルコールの問題が多い。70点ぎりぎりでパスする。

2月5日
   今日は朝一でパークランド病院。肝臓を持って病院へ。そのあと手術に入る。夜は腎移植の手術をしにIvingへ

2月4日
   ポケベルで呼ばれて空港へTempleという町までジェット機で行く。

2月1日
   今日からまたVisiting physicianにもどる。

1月31日
   今日で一月も終わり、朝は14Rの患者の診察を24人のうち6人ほどResidentのcarolと分担して行う。IWAD, CTA(Clear to aucation)などのabbreviationsがわからない。あさからAnnのところにtoyotaのDearlerから電話が入る。SSNのreciptが手書きではだめだというようだ。調子のいいSales manと一緒に木曜日の昼のconfarenceをskipして、SSAにむかい、typed reciptを出してもらう。Downを$3000追加してくれといわれる。現金で払おうと思ったがFinancial historyのことを考えて、financeにする。
 電話はseviceを解約しようとしても、勧誘がしつこい。
 午後はDr.Levyより、記録をしてはいけないといわれて、4時からの回診のみについて終わりとする。

1月30日
   朝より14Rの印刷を行う。14R はデーターシートにコンピューターからデーターを写す。この日は午後のRoundで終わり

1月29日
   この日は朝からresidentは飛行機でdonorに手術に行っていた。午後突然Donorの手術に入ってくれといわれて、Irvingの病院に行く。初めて前立ちをすることになる。肝臓を持って病院に戻る。

1月28日
   ごご、FordのDearlerに鍵のコピーを作りに行こうとしたとき、病院を出てすぐにベルトが切れる。Dearlorに電話をして、Wreckerをよんで、病院まで行く、今日中には直らないといわれて明日取りに行く。

1月27日
   部屋が乾燥するので、加湿器(15ドル)とそれから掃除機を買う。
夕方Cellular phoneを買いに行くが、ここでもSSNとdriver licenceで時間がかかる。2年契約でNokiaの端末がただとなる。

1月26日
   午前中病院に行くがDr.が見つからないので昼には帰る。Fordに車を買いに行くinternetで調べて買うのが中古車ではよさそうだ。また車暦もいらべられるのでよい。1989 Touraousをかう。

1月25日
   SSNofficeに電話をしてSSNをもらう、本屋に行くがしまっている。

1月24日
   木曜日は昼休みに、lunchと一緒にjounal clubがあるようだ。Evaluation sheetが配られる。夕方には保険のIDが送られてきたのでToyotaにcorollaをとりに行く。新車を買うことは大騒ぎのようだ。

1月23日
   午前中にBetty Prescott のofficeにいって、書類を記入して、VIDEOを見る。昼には日本食(花)に行くが閑散としていて店員は中国人、客は白人しかいないのでこのままでは寂れると思う。
 午後はトヨタにカローラを買いに行く。ローンを組むのに一苦労する。セールスマンはどこでも変わらない。最初調子のいいことを言っていたが後になると苦労する。なれないと車を買うのは非常に難しい。お金があれば新車を現金で、なければ中古車を現金で買うのがよさそうだ。

1月22日
   朝、ベットが入るのでアパートに行く、アパートに行くともうベットが来ている。間違って組立をしないにサインをして後で組み立てる羽目になる。
午後に病院に行くと山のような契約の書類を見せられる。明日までに書くことにする。
ごご一回ボルボは返して、カローラに変更にする。SSNに行って応募をする。
銀行に行って変更手続きをする。

1月21日
   飛行機が遅れてDallasに到着する。入国税関は非常に簡単。検疫もチェックなし。アパートは間に合わないのでモーテル6に行った後、ベットを買いに行く。これがないと生活がまったくできない。
ダラスに到着しました。

1月21日
   今日やっとダラスに出発できる。雷雨のため飛行機の出発が1時間遅れる。検疫は簡単に終わる。超過料金は32kgまで22000でずいぶん安い。2個超過していたが、間違えてひとつしか料金を取られていない。

1月18日
   VISAが下りてとりに行く。

1月16日
   藤枝に論文を片付けに行く。

1月15日
   船便ですべて発送する。

1月7日
   VISAの申し込みは旅行代理店に頼む。

1月4日
   日本にいったん帰国する

1月3日
   電話と電気会社に申し込む。

1月2日
   やっぱりDallas市内のappartmentに変更する。

1月1日(2002年)
   今日は正月なのでどこにも出かけられない。

12月31日
   銀行を開設する。Mesquiteのアパートを予約する。

12月29日(2001年)
   今日からDallasに行くことになった。取り敢えずは成田空港からNW20便にてMinneapolis経由で向かう。空港は大混雑で1時間まちであった。ターミナルは工事中。機内にて金持ち父さん、貧乏父さんを読む。Minneapolisは雪。5年ほど前にクリスマスに中山たちと遊びに来たことを思い出す。彼女はどうなっただろうか。飛行機はIowaの上空を静かに飛んでいくが、下は一面雪の中であった。このことを考えると雪の降らないDallasは勤務先としてはいいかもしれない。
今日の呟きの前身の日記作成を開始しました。


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